「いただきます」とは

料理長
料理長

いつもありがとうございます。

皆さんは「いただきます」の本当の意味をご存じでしょうか。

「いただきます」について高台寺圓徳院 後藤典生住職の説教です。

「いただきます」って素晴らしい言葉ですね。

ワタクシ達が食材と言っているものは

ついさっきまで、ほんの数日前までは生きていた動植物なんですね。

あたり前の事ですが、それを意識している人は少ないと思います。

そう考えると食材の廃棄なんてあってはならない事ですよね。

人類が誕生してから人類は他の生物の命を奪うことによって繁栄してきました。

先人達はその事をよくわかっていたので動植物を祀る事を生活の一部として生きていました。


しかし、現代人のワタクシ達はすぐに食べられる状態になっている食材を

いとも簡単にスーパーやインターネットで手に入れることができてしまいます。

そのために生物の命を奪っているという概念がなくなってきています。

「食べ物は生物の命を奪ってなりたっているものだから大切にしなければいけないよ」

というマニュアル本が約800年前すでに存在していました。

それが曹洞宗の開祖、道元禅師の残した「典座教訓」(てんぞきょうくん)です。

典座教訓・赴粥飯法 (講談社学術文庫)

典座というのは禅宗の寺院における「まかない係」と言ったら怒られると思いますが、

修行僧や客人の食事を司る役目の僧侶の事です。

その典座の為の心得や役割を事細かに綴っているのが「典座教訓」です。

この本は料理人なら、いや日本人なら一度は読んだほうが良いと思います。

ワタクシも高台寺羽柴に勤めているときは「典座教訓、赴粥飯法」は何度も読みました。

800年前に書かれたとは思えない、今現在のビジネス自己啓発本に書いてあるような内容です。

「典座教訓」の中に

※1「物の細を論せず深く真実の心、敬重の心を生すを詮要と為す」

※2「典座、水架の辺を離なるることなく、明眼もて親しく見て、一粒も費さざれ。」

というのがありますが現代語訳すると

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※1「材料が上等であるとか粗末であるとかを問題にすることなく、

   仕事に対しては深い真心をもって当たり食品材料に対しては、

   物を大切にし敬い重んずる心を起こすことが肝要である」

※2「典座は流し場の付近を決して離れないで明らかな眼をもって

   よくよく点検し、米一粒といえども無駄にしてはならない」

という意味です。

当たり前だろ、と言いたくなりますが、当たり前のことを当たり前にするのが禅宗です。

しかし、この当たり前のことがなかなかできないのが人間です。

食事をする前に「いただきます」と言うのは当たり前のことですが

どれくらいの人がこれを実践できているでしょうか。

あなたは食べる前に「いただきます」と言っていますか?

一人で食事をする機会の多い現代人はついつい「いただきます」を

言わずに食事をしている人が多いと思います。

食事を作ってくれた人がその場にいないから言わないとか

一緒に食事をする人がいないから言わないとか

それは関係ないですよね。

目の前にある料理(動植物)に対して感謝の気持ちをもって

「いただきます」と言いましょう。

ウチの調理場ではまかないを食べる時に必ず「いただきます」「ごちそうさま」

は言います。

吉野家やマクドなどのファーストフードに一人でいって食べる時に

「いただきます」というのが恥ずかしかったら小さい声でもいいので言いましょう。

声に出さずともせめて心の中で「いただきます」と言いしょう。

Twitterに「いただきます」とつぶやくのもアリかもしれません。

食材や日々使っている道具、そして自分をとりまく社会の人々に対して

常に感謝の気持ちをもって過ごしたいものです。

これからも料理道に精進いたします。

by料理長

典座教訓・赴粥飯法 (講談社学術文庫) [ 道元 ]

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