器は料理の着物

京料理いそべ
料理長
料理長

いつもありがとうございます。

「器は料理の着物」

これは陶芸家で美食家としても有名な

北大路魯山人の名言です。

今回は料理を装う器について解説いたします。

2022年10月30日 「京料理いそべ」にて文化庁移転記念として

京都料理芽生会文化庁監修、「京料理親子文化体験事業」が行われました。

今回の記事はその会食に使用した器を中心に解説いたします。

清水五条坂ゆば泉にて湯葉のくみあげ体験の様子
祇園円山公園「京料理いそべ」にて京料理の実食体験の様子

文化を継承するという事

人類は地球上のあらゆるエリアにおいて、さまざまな環境に適応するために

新たな知識や技能を生み出し、それらを着実に次世代に継承してきた。

知識や技能の総体である文化を伝達することは人類の飛躍的な発展を支える

ものとなっている。

文化伝達を支える発達基盤に対する研究展望 神戸大学 木下孝司

京料理における器の役割

「装う(よそおう)」という行為をするのは動物の中でも人類だけではないでしょうか。

「装う」とは、身なりや外観を整え美しく飾る事を言います。

また「装う」という言葉は「他のものにみせかける、ふりをする」という意味もあります。

ウソや過度な飾り付けは「偽装」になってしまいます。

京料理での「装い」は「やり過ぎず、やらな過ぎず」が基本です。

また、ご飯や汁物を「よそう」と言いますが、これにも「装う」の字をあてます。

この「よそう」という言葉にも、見た目を整えて美しく盛りつける

という意味があります。


京料理における器の役割は魯山人の名言とおり

「器は料理の着物」です。

器は料理を装うためのアイテムです。

京料理を装うには季節感を意識したり、

冠婚葬祭などのTPO(時間、場所、場面)をわきまえる必要があります。

京料理に使用する器にはそれらに配慮する為にいろいろな図柄や素材があり工夫がなされています。

器の素材について

「器」とひと口に言っても、ガラス、土石、金属、紙、木、プラスチックなどがあります。

土石や木製品は自然のぬくもりを感じさせてくれます。

ガラス製や金属製の器は夏の暑い時期に涼しさを演出してくれます。

近代になってからプラスチック製の器なども登場しましたが、

ガラスや陶磁器と比べると割れにくく丈夫なうえに

価格も抑えられるので料理に応じて使い分けるのに重宝します。

氷を連想させるガラス器
涼しさを演出する銀器

漆器(しっき)とは

輪島塗瑞雲蒔絵椀

漆器とは漆(うるし)を塗った器や道具のことをいいます。

漆とはウルシ科ウルシ属の落葉高木で、採取した樹液のことを「漆」と言います。

漆は固まると耐久性、耐水性、耐熱性、そして抗菌作用の機能を発揮するため

古くより人々の生活に活用されてきました。

その機能性の高さは漆を上回る合成塗料は未だにないとも言われているそうです。

漆の樹液は15年~20年かけて育てた木から200gほどしか採ることができない

貴重な天然樹脂です。

更に詳しい解説https://journal.thebecos.com/whatis-lacquerware/

越前漆器

越前漆器とは福井県鯖江市周辺で作られている漆器のことをいいます。

日本人のライフスタイルの変化や市場ニーズに合わせながら越前漆器は製品を多彩に展開し

大量生産の技術も生み出してきました。現在では国内の外食産業用、業務用の80%以上を生産し

先進的な越前漆器の新たなスタイルを発信しています。

詳しくはhttps://kogeijapan.com/locale/ja_JP/echizenshikki/

京漆器「象彦(ぞうひこ)」

提灯画像 象彦マーク

象彦の由来

寛文元年(1661年)象彦の前身である象牙屋が開店、漆器道具商としての道を
歩みはじめます。
朝廷より蒔絵司の称号を拝受した名匠三代西村彦兵衛が晩年「白象と普賢菩薩」を
描いた蒔絵額が洛中で評判となり、人々はこの額を象牙屋の「象」と
彦兵衛の「彦」の二文字をとり「象彦の額」と呼んだそうです。
それ以来「象彦」の通り名が時を経て今日に至っているそうです。
「白象と普賢菩薩」

参考資料https://www.zohiko.co.jp/global/zohiko/

陶磁器(とうじき)とは

土や石をこねて焼いたものの総称を陶磁器といい、また焼物とも呼ばれます。

陶磁器は大きく分けて「土器」「せっ器」「陶器」「磁器」の四つに分類されます。

「土器(どき)」

人類が初めて作った焼物で日本では縄文時代から作られていました。

現代でも使われている植木鉢も土器に分類されます。

土器は粘土で釉薬をかけずに800℃の低温で素焼きしたもので

水を吸いやすく耐久性も高くありません。

「せっ器」

陶土と呼ばれる粘土を原料とし1200~1300℃の高温の窯で焼いて仕上げます。

「焼き締め」とも呼ばれかたく焼き締まっているためほとんど水を通しません。

常滑焼(愛知県)備前焼(岡山県)信楽焼(滋賀県)などが「せっ器」に

分類されるそうです。

「陶器(とうき)」

陶土を主な原料とし、練ってから成形し乾燥させて700~800℃の窯で

素焼きしてから釉薬をかけて1100~1200℃で焼成します。

釉薬によって表面に薄いガラスのような膜ができていますが

目に見えない無数の空気穴があるのでやや吸水性があります。

代表的なものに美濃焼(岐阜県)萩焼(山口県)などがあります。

「磁器(じき)」

陶石という石を細かく砕いたものや白色粘土に長石や珪石(けいせき)といった

ガラス質の石を加えたものを原料とします。

上記の「土器」「せっ器」「陶器」が「土もの」と呼ばれるのに対し

「磁器」は「石もの」とも呼ばれます。

1300~1400℃の高温で焼成されガラスのようになめらかな質感に

仕上がるのが特徴です。

丈夫で割れにくいため薄いつくりのものが多く吸水性もほとんどありません。

代表的なものに伊万里焼 有田焼(佐賀県)九谷焼(石川県)などがあります。

更に詳しい解説https://journal.thebecos.com/whatis-pottery/

日本六古窯(にほんろっこよう)とは

古来の陶磁器窯のうち中世から現在まで生産が続く代表的な六つの産地

越前(福井県越前町)・瀬戸(愛知県瀬戸市)・常滑(愛知県常滑市)

信楽(滋賀県甲賀市)・丹波(兵庫県丹波篠山市)・備前(岡山県備前市)

の総称で、1948年頃 古陶磁研究家 小山富士夫氏によって命名され

2017年に日本遺産に認定されたそうです。

参考資料https://sixancientkilns.jp/about/#:~:text=

美濃焼(みのやき)とは

美濃国(現在の岐阜県)の東部地域で生産されてきた陶磁器の総称です。

現在、国内で生産されている陶磁器の半数が美濃焼だそうです。

起源は奈良時代の須恵器窯(すえきよう)からとされています。

歴史の長い美濃焼ですが、なぜか日本六古窯には含まれていません。

料理長
料理長

これはワタクシの持論ですが

美濃焼が日本六古窯に含まれない理由は

室町時代末期に瀬戸の陶工(陶磁器を作る人)が

美濃へ移住したことで生産が始まった

という説があるからではないでしょうか。

美濃焼には様々な様式があり15種類が伝統工芸品の指定を受けています。

その中でも代表的な四つをご紹介します。

・黄瀬戸(きせと)

室町時代末期から安土桃山時代に作られてきた黄瀬戸は

灰釉が改良された鉄釉による淡黄色が特徴的です。薄作りの器に様々な文様を描いた

「あやめ手」や、ほとんど文様がない「ぐいのみ手」があります。

光沢のある小瀬戸系黄瀬戸と「油揚げ肌」と呼ばれる黄瀬戸があります。

・瀬戸黒(せとぐろ)

鉄釉をかけて1200℃前後に窯で焼成し、引き出した後に急冷させると

表面に深い黒が現れます。それまでの黒い茶碗はどれも赤みを帯びたもので

「引出黒(ひきだしぐろ)とも呼ばれる瀬戸黒の漆黒の茶碗は茶人たちを喜ばせたそうです。

形も従来の丸みを帯びた茶碗とは異なり高台が低く裾の部分が角ばった半筒形をしています。

・志野(しの)

細やかな貫入と、ほんのりと赤みを帯びた白い肌が特徴です。

「もぐさ土」とよばれる土に長石釉(志野釉)をかけて焼成します。

茶碗を中心に水指や香合などの茶道具に多く用いられ、

無地志野、絵志野、鼠志野、紅志野、練込志野などの種類があるそうです。

・織部(おりべ)

織部は武人であり茶人であった古田織部(ふるたおりべ)が

自分好みに作らせたと云われています。

市松模様や幾何学模様を施し歪みを個性とした斬新なスタイルが特徴です。

鉄絵(鉄を含む顔料で描かれた絵)による意匠(デザイン)や

鮮やかな緑色は美濃焼を象徴するものです。

神官がはく沓をイメージさせる「沓茶碗(くつちゃわん)」は

縁の部分がグニャリと曲がり、当時茶会では

「へうげ(ひょうきん)」と評されたそうです。

色も多彩で形や模様も様々なものが生み出されました。

有田焼(ありたやき)とは

有田焼きは佐賀県西部(有田町、伊万里市)で17世紀に

日本で初めて作られた磁器だそうです。

透き通るような白い磁肌と呉須(藍色の顔料)で描いた染付、

ガラス質の上絵具を用いた華やかな赤絵が特徴です。

耐久性が高く美術品から日用品まで様々なものが生産されています。

有田焼という呼び方をするようになったのは明治時代以降になってからだそうで

江戸時代は、伊万里焼もしくは備前焼と呼ばれていたようです。

16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮出兵した際に派兵された鍋島氏は

朝鮮人陶工の金ヶ江三兵衛らを連れて帰りました。

17世紀初頭、金ヶ江三兵衛は有田に移住し泉山で

磁器の原料となる陶石を発見したとされています。

金ヶ江三兵衛https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%8F%82%E5%B9%B3

更に詳しい解説https://www.arita.jp/aritaware/

京焼清水焼(きょうやき きよみずやき)とは

「京焼」は茶の湯の流行を背景に江戸時代初期頃から東山山麓地域を

中心に広がった焼物のこといいます。

それに対して「清水焼」は清水寺の参道である五条坂で作らている

焼物のことをいいます。

現在は京都で焼かれている焼物全般を「京焼、清水焼」と呼んでいるそうです。

「京焼、清水焼」には特徴がないのが特長です。

特定の様式、技法があるわけではなく全ての技法が融合されています。

その理由は都があった京都が日本中から選りすぐりの材料と職人が集う街であった

という恵まれた環境と、その文化を後援する神社仏閣、皇族、貴族、などの

存在があったことがあげられるそうです。

更に詳しい解説https://www.asahido.co.jp/knowledge/about_kyoyaki_kiyomizuyaki/

萬古焼(ばんこやき)

萬古焼きは江戸時代中期に桑名の豪商「沼波弄山(ぬなみろうざん)」が

現在の三重県朝日町小向(おぶけ)に窯を開いたことに始まりました。

弄山は自身の作品がいつまでも変わらず残るようにと

「萬古」または「萬古不易」の印を押しました。

それが萬古焼きの名前の由来と云われています。

「萬古不易」の印

弄山は京焼の技法を尾形乾山らに学び内外の茶碗の写し物から作り始めました。

現在の萬古焼きには食器や花瓶など生活を彩る器から工業製品の型まで

多種多様な焼物があります。

そのバラエティーの多さから

「萬古焼きの特徴は「萬古」の印があること」

と言われるほどだそうです。(印がないものもあります)

更に詳しい解説http://bankonosato.jp/wp/bankoyaki/

京料理親子文化事業で使用した器

翡翠四角小鉢(清水焼)

多くの陶磁器の場合、釉薬は底面にはかかっていませんが、

この翡翠四角小鉢には底面にも釉薬がかかっている珍しい器です。

底面に釉薬をかけてから、三点を支える細い棒にのせ

表側に釉薬をかける特別な製法で作られています。

支えていた三点の跡が残っています。

角四方前菜市松盆(越前漆器)

市松模様(いちまつもよう)とは現在のチェック模様のことです。

江戸時代中期、「佐野川市松」という歌舞伎役者が舞台でこの模様の袴を着ていたところ

当時の女性達の間で大流行したそうです。

それ以来「市松模様」と呼ばれるようになったそうです。

黒釉柚子肌(美濃焼)

黒釉は「くろゆう」や「こくゆう」と読みます。

黒釉とは鉄分の多い黒色に発色する釉薬のことをいいます。

黒く発色した器のことを「天目茶碗」という呼び方をする場合もあるそうです。

宋代(960~1279年の中国王朝)に福建省の建窯(けんよう)で焼かれた

黒釉碗が元とされています。

建窯(福建省陽県水吉鎮付近にあった窯)では盛んに焼成され

中世の日本人もこれを称賛し多くの天目茶碗が日本に持ち込まれたそうです。

天目茶碗は主に寺院で重用され茶の世界でも「貴人の器」と称されたそうです。

柚子肌とは釉薬の表面に現れる柑橘類に皮の様な表面のことをいいます。

更に詳しい解説https://eishodo.net/toujiki/tenmoku/

乾山写し(京焼)

「乾山」は野々村仁清とともに京焼の祖と呼ばれた「尾形乾山」のことをさします。

「写し」とは陶器の形状や模様、図柄を模倣した作品を作ることをいいます。

尾形乾山(おがたけんざん)https://www.hakkoudo.com/weblog/2021/08/31/0807/

野々村仁清(ののむらにんせい)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E3%80%85%E6%9D%91%E4%BB%81%E6%B8%85

十草土瓶蒸し(万古焼)

土瓶蒸しの発祥については諸説あるようですが、

農夫が山から採ってきた松茸などを調理しようとした時に鍋がなかったので、

土瓶を使って調理したことから始まったと云われています。

「すき焼き」や「くわ焼き」も調理器具がなくて農具の鋤(すき)や鍬(くわ)を

代用したのが始まりとされています。

農夫達の土瓶や農具を使った野趣あふれる料理に「おもしろい」と目を付けた

料理人が料理屋の献立にそれらを取り入れるようになったのが

明治時代頃と云われています。


十草模様(とくさもよう)とは縦縞の模様のことで

日本で昔から親しまれてきた模様の一つです。

縦縞模様で「麦わら手」というものがありますが、

現在では十草模様と混同されている場合が多いようです。

十草は植物の場合は「木賊」という字をあてます。

本来の十草模様は「節」も表現しているという解説もあります。

十草とは、日本家屋の生垣によく生えているトクサ科トクサ属の植物です。

上の画像のような長いアスパラかニンニクの茎みたいな植物を

庭先に見かけたことがあるのではないでしょうか。

一年中、花も葉もでない変わった植物です。

昔は「金を磨く時に十草を使うと光沢がでる」と言われ

金を呼ぶ縁起のよい植物とされてきました。

象彦瑞雲金彩(京漆器)

象彦については上記を参照してください。

瑞雲(ずいうん)とは虹色に彩られた雲のことを云い、

古来中国では瑞雲は幸運の予兆として縁起の良いものとされてきました。

金彩(きんだみ)とは細工物を金箔や金泥で彩ることを云います。

この「象彦瑞雲金彩」は竹をへいで細工しているそうです。

敷皿 三島手(京焼)

三島手とは朝鮮半島から伝わった象嵌(ぞうがん)の技法で

半乾きの素地に印花などの印判をあてて彫り模様を入れ、

そこに化粧土を塗りこんで模様をだした焼物のことをいいます。

この象嵌模様が三島大社(静岡県三島市)から出されていた暦(こよみ)

の文字に似ていたことから三島手と名付けられたと云われています。

「手」とは手法や技法を意味します。

更に詳しい解説https://www.yamanaka-gato.com/page/45

象嵌とはhttps://jewelpia.com/sub/inlay.html#:~:text=

織部角違鉢(美濃焼)

織部焼、美濃焼、は上記を参照してください。

割山椒(京焼)

割山椒とは山椒の実が三つにさけた状態を表現した形です。

山椒はミカン科サンショウ属の落葉低木です。

山椒は3月になると新芽が出てきます。

この新芽を「木の芽」といい京料理では吸い物や焚合せにあしらいます。

4月になると花をつけるので、これを湯がいて山椒鍋などに使います。

5月になると青い実をつけるので、枝をそうじして実山椒として

溜まり醤油で焚いて「鞍馬山椒」「有馬山椒」として保存します。

保存した実山椒は、ちりめん山椒や子持ち鮎を甘露煮にするときに使います。

夏が終わると山椒の実は赤く色づいてきます。

10月11月には実の皮が三つに割けて赤い実は黒くなり種子となります。

この三つに割けた状態を「割山椒」といいます。

割山椒画像 https://yansue.exblog.jp/21733899/

つまり「割山椒」の器に料理を盛り付けることで「秋」を表現しています。

収穫した山椒の実は乾燥させて粉山椒として使います。

山椒という植物は年間を通して京料理には欠かせない食材です。

深川製磁(有田焼き)

明治27年(1894年)に深川忠次によって設立された窯元が深川製磁です。

1900年のパリ万博に大花瓶を出品して金牌を受賞します。

これを契機にイギリスバーミンガムにあるワット商会を通して

ロンドン、パリ、ハンブルグ、ミラノ、ブリュッセルに代理店を開設し、

「深川製磁」の名を世界に知らしめることになります。

「フカガワブルー」と呼ばれる鮮やかな青色が特徴的な器です。

深川製磁ならではの澄みきった青色を作り出すのはコバルトなどの鉱物から

調合した絵付け顔料「呉須」によるものです。

深川製磁は石を砕いて粘土にする生地づくり、ろくろでの成形、表面を整える削り

自家調合の約600種類の絵具と絵付け、通常より高い1350℃焼成などの

全ての工程を自社工場で職人達が作りあげているそうです。

更に詳しい解説https://www.fukagawa-seiji.co.jp/about/ayumi/

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